2010年04月27日

道徳と経済は表裏一体 森 幸雄


 
『ほうとく』平成22年 初春号から再録です。

          報徳会事務局 天岩 (ブログ担当) 

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     道徳と経済は表裏一体 

            森 幸雄 (事務局長) 


 暖冬のためか十二月に入ってもイチョウの並木はまだ多くの黄色い葉を残している。それでも冬の間には全ての葉を落として幹と枝だけになるのであろう。風に押されてイチョウの葉は飛行機のように滑空して地表に落ちている。

 飛行機といえば航空会社のJALは日本を象徴する大企業であるが、いまや年金問題で墜落しそうだ。年金の積み立て資金が不足している企業が増えているのは何んとも心もとない。今日の日本は政治も経済も全く先が見えず、行き詰まった状況に嵌(は)まり、すぐには脱出することができそうもない。何んとしたことであろうか。戦後驚異的な経済成長を遂げ、アジアの奇跡と言われた日本はイギリスに百年遅れて産業化に着手したが、その遅れを取り戻しイギリスを追越した。日本近代化の原動力は、日本人が昔から培ってきた高い精神力と道徳心、それに勤勉さである。



 今日そのたがが緩んでしまっているようだ。

 経済と道徳は一見別々のように思えるが、尊徳翁は 「道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である」として経済とは道徳は表裏一体のものであると教えている。道徳を忘れた経済は欧米諸国が目指す「新金融資本主義」 にも見られるようだ。欧米先進国は世界中の良きお手本になるように努めなければならぬのに、金利の安い日本から資本を調達して、発展途上国の小さい市場に投入したり引き上げたりして市場を支配し、発展途上国の弱い通貨を狙って為替を動かすなど莫大な資金を動かし、途上国から利益を貪り自国の経済を成り立たせようとする金融立国を目指している。その本質は「リーマンショック」 で姿を表わした「サブプライムローン」と言われる金融商品でトランプゲームの「パパ抜き」に似た仕組のもので目的は金抜きであろう。日本人には馴染まない仕組みである。日本は技術革新を怠らず、たえず良い物を造り世界に供給出来る技術立国であってほしいものだ。



 欧米諸国は日本をどのように見ているのか、日本の没落が一九九〇年代の半ばから始まると書いた「目はまた沈む」

 という本を著したエコノミスト誌前編集長のビル・エモット氏は日本の現状を 「日本社会の格差が広がりすぎ、福祉政策が必要になった。OECD (経済協力開発機構)加盟国の中で貧困層が拡大しているのは日本だけだ。最低賃金も日本はOECDで最低レベル。かつてあれほど平等社会だった日本が今や英国以上の格差社会になったのは劇的な変化だ。」 と指摘している。(日本経済新聞) 日本経済の停

 滞の主因はビル・エモット氏の指摘通り格差の拡大に伴った貧困層の増加にあるようだ。橋本政権下で始まった非正規雇用の弾力化という政策の誤りだ。産業界の採算性を高めるため、賃金が低く低福祉で法的にも守られない非正規雇用やパートを容認したことに始まる。

 国家の衰退の原因には道徳の低下が挙げられる。政治家や国民の道徳が低下すると国内は混乱し、経済は低迷するのは歴史に学ぶ通りである。反対に道徳が尊重され徹底すると国民相互、為政者も信頼される社会になるため効率よく経済が発展し国力が高まります。日本は真面目に技術革新を続けてきましたから製品はどんなものも一流です。しかし尊徳翁の指摘するように、勤勉性を失うと手取り早く

 儲かる方法を考えがちです。例えば物造りを中心とした経済から金融で儲ける経済に移行するように。人間は困難な状況になればなるほどその解決のために一発逆転を狙いたくなるものです。大きな損失を埋めるために時間をかけて一から地道にやり直そうとするのではなく一気に危ない賭け事に手を出してしまうものです。その結果は想像に難くないでしょう。日本の経済はビル・エモット氏の言うように急速に悪化していますが賭け事の世界に手を出してはいない。「リーマンショック」「ドバイショック」まだまだ一発逆転を狙う世界は続くでしょう。全て道徳なき経済の結果は近いうちに現われてくるでしょう。

 日本にとっていま最も必要な投資は教育であろう。自民党政権でも民主党政権でも全く教育投資に力が入っていないのはどうしてか、将来のための人材育成を国家の政策として、十分な奨学金制度を確立し、勉学を支援する制度を設け、税金での優遇措置も考えなければならない。資源も無く食料も輸入に頼らなければならない日本にとって優秀な人材を作ることだけが世界に互する方策である。しかし急がねばならない。成果を見られるのは三十年から五十年の歳月が必要であるから。社会混迷について翁は次のように言っている。

 翁日く、国家の盛衰存亡は各々利を争ふの甚しきにあり。

 富者は足る事を知らず世を救う心なく、有るが上にも求めて己が勝手のみを工夫し、天恩も知らず国恩も思はず、貧者は又何をかして己を利せんと恩へども、工夫あらざれば、村費の納むべきをとどこはり、作徳の出すべきを出さず、借りたるものを返さず、貧富共に義を忘れ願ひても祈りても、出来がたき工夫のみをして利を争ふ (夜話)

posted by 報徳会東京事務局天岩 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月16日

平成22年『年頭所感』 



『ほうとく』平成22年 初春号から再録です。

          報徳会事務局 天岩 (ブログ担当) 

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    『年頭所感』

           小 林 幸 子(二宮報徳会会長)

 明けましておめでとうございます。

 本年の干支は寅ですが、百二千年前の明治二十三年の寅年に、日本人にとって大きな贈り物が明治天皇より国民に賜われました。それは「教育勅語」です。その主旨は、教育の目的は、私達の祖先から受け継いできた遠大な理想のもとに国民道徳をしっかり見につけ、道義国家を建設することにあると明治天皇はお諭しになられました。

 人の道をお示しになられた 「教育勅語」 ですが百二十年を経て日本の心が忘れ去られるような今日、その国民道徳の規範を学ぶ必要性がますます高まってきていると言えるのではないでしょうか。


 今日ほどわが国の道徳心が地に堕ちた時代はなかったでしょう。現に日本人の代表というべきこの国の首相が教育勅語にある「父母に孝に」ということが全く分っておりません。老いた母に親孝行をしなければならないのに、反対に母親に心配を掛けております。マニフェストに書いてあるのでしょうか、多額の「子供手当」を心配をかけた母親から毎年貰っていたと判明しました。もちろん贈与税は払っていませんから脱税ですね。「子供手当」が命取りになるのでしょうか、怒りを通り越して笑ってしまいます。程度が低すぎます。国民の方が恥ずかしくなる話です。およそ社会に道徳を害するものが二つあります。第一は、無知にして道徳に反する者、第二は、知っていて道徳にそむく者。首相の場合は後者でありましょう。その罪は第一の罪よりはるかに重いと知らなければならないでしょう。


 明治天皇が尊徳翁の教えを大切にされたことは有名な話ですが、「報徳記」は初めは宮内省版として政治家や主だった官僚に頒ち、その後農商務省版などから出版され全国に広がってゆきました。 「教育勅語」と一緒に「報徳道の実践」が日本人の生活向上に役立つことで日本を道義国家として打ち立て、近代国家建設の推進力となることを明治天皇は願われたのではないでしょうか。


 尊徳翁の報徳の教えの根本は勤・倹 (分度を含む)・譲の三つです。「朝に星を戴いて出で、夕に月を踏んで帰る」勤勉がいかに莫大な富貴と繁栄をもたらすものであるかは、言を待たずして明らかでありましょう。財を作るためには積極的な勤勉が第一ではありますが、出ずるを制する倹約がその裏打ちになっていなければなりません。この倹約を確固たるものにする為に分度の自覚が必要になります。

「分を定め、度を立つるは、わが道の本源なり、分定まり度立てば、分外の財生ず」 (語録)、

 あるいは 
「貧雷は分度を守ると、分度を守らざるによって生ずる。分度を守って、分内の財を散逸しなかったならば、やがて富者にいたる。分度を守らず、他財を分内に入れれば (借金のこと)、すなわち貧におちいる」 (語録) 

 の道理を弁え、日々月々、勤めて怠らなかったならば、「チリも積もれば山となる」 (積小為大) のたとえのとおり、いかなる貧者も、富者にならぬ道理は絶対にありません。

「富と貧とは遠くへだたったものではなく、たった一つの心掛け次第のの。貧者は昨日のために今日勤め、昨年のために今年勤めるのに対して、富者は明日のために今日勤め、来年のために今年勤めるようにする。ただこれだけの違いなのだ」(夜話)

 と説くのです。これが一言にして言いつくした報徳の教えです。ここまで来ますと報徳道の最終日的は推譲の実践です。社会に貢献することです。

「草木禽獣は相奪って譲るなし。故にただ一木一身を養うだけ。人もまたこのように奪って、譲りがなければ、少しも革木禽獣と変わったところがない。天祖がこれをあわれんで、推譲の道をたてた。すなわち一粒の粟(あわ)を推譲して、もって蒔けば百倍の利を生じ、一人耕せば数人を養いうる。ここにおいて人道は立ち、国家も安穏である。ああ大なるかな推議の道たるや」 (語録) 

 と尊徳翁は推議の実行をすすめております。日本が経済大国であった時代は終わったように思えます。それは分度の自覚がどうやら亡くなってしまったように感じられるからです。これ以上富ませることではなくして、いかにすればこの繁栄をいつまでも維持できるかということでなければなりません。そのためには報徳道の実践以外にないと思いますがいかがでしょうか。

 本年も宜しくお願い申し上げます。


posted by 報徳会東京事務局天岩 at 07:04| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月09日

教育勅語と報徳訓 小林幸子



教育勅語と報徳訓

     小林幸子(二宮報徳会会長)

 御存じであろうか、日本占領時代において、GHQは日本民族が再び起つことが出来ないように日本を骨抜きにしてしまおうと考えたことを。学校教育における修身科目を禁止したり、日本の地理、歴史を教えることさえも許さなかったことを。


 昭和二十七年に「サンフランシスコ平和条約」の発効によって日本が独立を回復してから、すでに六十年にもなろうというのに、占領軍の骨抜き政策そのままの無国籍教育が今日まで依然として続いているのです。

 占領軍と日本の左翼勢力の思惑が一致して国民の義務教育に対する教育権が革命団体である日教組の教師たちの手中にゆだねられており、我が国は、純心無垢な子供たちを人質にとられていることを忘れてはならないでしょう。


 戦前には国民精神の背骨をなす「教育勅語」の訓があった。明治・大正・昭和の三代にわたって、日本を近代国家に築き上げてきた国民の精神の源泉でありました。しかるに占領軍は「教育勅語」を国会に於いて日本人自らの手によって「教育勅語」の「廃棄・無効」の決議を成立させてしまった。それが今日見る如き国民精神の弱体・退廃をもたらせているように思えるのだが・・・


 さらに占領軍は二千百余年連綿と続く皇統を断ち切ろうと「国家神道禁止命令」を発し、靖国神社や伊勢神宮までも邪宗扱いにしたのです。「国体護持」を約した「ポツダム宣言」を反故にして、天皇制破壊を企てた。しかし、たがだか三百年程の歴史しかないアメリカに二千六百年に及ぶ皇統の歴史を持つ日本が物量の差によって初めて戦に負けたからといって卑屈になることはありません。胸を張って下さい。皇室は今日もこれからも安泰であります。


 「報徳訓」も明治十三年「報徳記」が世に出て以来敗戦の年まで六十五年を経ておりました。占領軍は「教育勅語」と全く軌を一にする「「報徳思想」を廃棄させようとはしなかった。


 ここに私達は希望の光を見出して、本来の日本人の魂を取り戻して、我が国家を建て直さなければならない。これからの青年に「教育勅語」を鑑として「報徳」の精神、教えを学んでほしいと思います。本年はその最初の年になるようにと願っております。

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posted by 報徳会東京事務局天岩 at 12:53| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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